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Posted by さがファンブログ事務局.

成功とは目標(思い)がひとつづつ叶うこと

自分なりに定義している「成功」である。

その一つの目標としては、4月13日と14日の2日間。

計画した中学校の同窓会を成功させることだった。

今回で14回目を数える。

 
          ≪無窮洞≫

同窓生のほとんどが開戦の年に生まれた。

初めての試みとして、開催地を変更する。

地元を離れ、出で湯の町“嬉野温泉”で開催した。

当日は50名近くの同窓生が集まり賑わった。

 
  ≪浦頭引き上げ記念館≫   ≪帰り舟の歌碑≫

翌日のオプショナルツアーは戦跡をたどる旅とした。

「ニイタカヤマノボレ」の無電を発信した(事実は不明)といわれる無線塔。

生徒を戦禍から防ぐために掘った防空壕跡(無窮洞)。

浦頭引揚記念平和公園などを見学した。

戦後70年目を迎える今年の同窓会は成功裏に終わった。
  


Posted by 古賀 等. 2015年04月21日20:00 | Comment(0) | 日記

月下美人シリーズ(?)最後の開花

6月から咲き始めた我が家の“月下美人”最後の開花である。


       9個目の花(右端・10月31日午後11時)

6月の27日から咲き始めた花が今年は合計10個もの花を開花させた。


      翌朝には10個目の花も開花していた(左側・11月1日朝)

5年ぶりに咲いた花、5年分を一度に見せようと頑張ってくれた。


       5年ぶりに10個目の花をつけた雄姿

半年かかって10個もの花を咲かせてくれた我が家の月下美人に感謝

しながら月下美人シリーズ(?)最後の投稿をさせて頂いた。  


Posted by 古賀 等. 2013年11月06日20:00 | Comment(0) | 日記

花も褒めれば更に輝く

9月投稿のブログに “今年は月下美人が6回も咲いた” と書いた。

その時の小さな花芽が1カ月間かけて昨夜見事な花を咲かせてくれた。


          4個のつぼみ(10月29日撮影)

しかも今回は2個の花が同時に咲いた。

「人が見ていないところでも頑張るこの花が好きだ」 「素晴らしい香りを放ってくれる」

などほめたたえたから答えてくれたのかもしれない・・・。


        2個の花が同時に咲いた(10月30日夜撮影)

この花は深夜に咲いて翌朝にはしぼんでしまうのだが今回は気温が低かったためか朝まで咲いたままだった。

前回は孫娘が眠気まなこで良く見ていなかったので見てもらおうと朝まで頑張ったのか・・・?


         翌朝まで咲いていた(10月31日朝撮影)

 しかし残念なことに孫娘は気づかずに登校してしまった。しかしあと2個の花が近いうちに咲きそうだ。

この月下美人から “人 も 花 も ほ め て 育 て る” ことを教えてくれた・・・・!!。

  


Posted by 古賀 等. 2013年10月31日12:00 | Comment(0) | 日記

今年は月下美人が6回も咲きました

7月に5年ぶりに咲いた月下美人のことを投稿したが、その後、

7月から9月にかけて合計6回も咲いてくれた。

 
         6月27日開花           7月15日開花

今年はきっといいことがありそうな気がする(?)。

この花は一夜限りの花だが、香りと言い、咲きっぷりと言い感動する。

 
          8月28日開花         8月31日開花

誰も見ていないところでも全力投球で咲くこの花が好きだ。

小学校1年生の孫娘が「見たかったのに教えてくれなかった!」文句を言ってきた。

 
            9月21日開花             9月22日開花

翌晩も続けて咲きそうだったので「今夜は咲きそうだよ」教えてやった。

頑張って起きていたが当日は運動会で疲れていたのか寝てしまった。

 
       寝ぼけ眼の孫        もしかしたらあと一回咲くかも(花芽)

負ぶって見せたが、翌朝聞いたら寝ぼけ眼で見ていたのか覚えていなかった。

       人が見ていないところでも頑張るこの花が好きだ。  


Posted by 古賀 等. 2013年09月25日20:00 | Comment(0) | 日記

5年ぶりに咲いた月下美人

過日、我が家に5年ぶりに月下美人が咲いた。

ブログにも書いたが、2008年11月に咲いたの

が最後でその後なかなか咲いてくれなかった。

 
       午後2時ごろ                夜9時

久し振りに咲いた花に我が家は大喜びだ。

月下美人は昼ごろから咲き始め、夜中に咲く。

 
        夜11時                 翌朝6時

一晩限りのこの花は精一杯咲くとき、

素晴らしいいい香りを放つ。

孫は初めて見るこの不思議な花に

寝るまでに何度も見に来ていた。



  


Posted by 古賀 等. 2013年06月30日23:02 | Comment(0) | 日記

つまづいたおかげで

過日、九重町の日本一の大吊り橋

反対側から見ようと行ったが5時過ぎで門が閉まって行けなかった。

仕方なく近くの駐車場に車を止めたときに目に付いた管板の言葉が目に留まった。


        目に付いた看板

つまずいたリ転んだりしたおかげで

深く考えるようになりました。

あやまちや失敗をくりかえしたおかげで

すこしずつだが人のやることを暖かい眼で見られるようになりました。

何回も何回もおいつめられたおかげで

人間として自分の軟さとだらしなさをいやというほど知りました。

だまされたりうらぎられたりしたおかげで

馬鹿正直で親切な人間の暖かさも知りました。

そして・・・・・・身近な人の死にあうたびに人の命のはかなさと、

今ここに生きてることの尊さを骨身にしみてあじわいました。

 
   目に付いた布袋尊像      反対側から見た吊り橋

人の命の尊さを骨身にしみて感じたおかげで

人の命を本当に大切にする本物の人間に裸で会うことが出来ました。

一人の本物の人間にめぐりあえたことで

それが縁となりつぎつぎによい人達にめぐり合うことができました

だから私のまわりにいる人たちはみんなよい人ばかりなんです

  気になる言葉との出会いに感謝!!!!  


Posted by 古賀 等. 2013年06月24日23:14 | Comment(0) | 日記

第13回・山中32年卒同窓会

一昨年開催した“古希同窓会”から2年が経過。4月8日、第13回目の同窓会を伊万里迎賓館で開催した。前回は80数名の参加者だったが今回は60名の参加者だった。20名も減った原因を分析し、「前回は記念すべき古希同窓会だったからだ」と都合のいい解釈をすることにした。

 
   オープニングは祝舞い      お祝いのフルーツ

参加者を歓迎するために毎回地元世話人で“出し物”をやるようにしている。今回は今流行の“ひょっとこ踊り”を披露した。3回の熱心な練習の成果(?)が出て大好評だった。元気で再会を誓い合い、午後8時閉会した。

 
  協会とお寺が同時に見える風景     昼食会場から見た平戸島


翌日は平戸観光ツアーが計画され45名の参加者だった。ザビエル記念教会・松浦史料博物館・オランダ商館・田平天主堂などを見学し、午後4時、伊万里駅にて解散し、それぞれが故郷に帰って行った。

 
      田平天主堂にて         同窓会ゴルフコンペ



ゴルフ組は翌日から2日間にわたり“山中同窓会コンペ(3組)”を開催した。2日目はフェリーで関西方面に帰る者もいたのでスタート時間を早め、4日間の長丁場の同窓会もようやく終了となった。  


Posted by 古賀 等. 2013年04月16日20:00 | Comment(0) | 日記

有り難う“クラウン”

13年間もの長い間、手足となって活躍してくれた我が愛車をこの度退役させることにした。走行距離は31万キロ、良くも走り続けてくれたものだ。遠くは東京まで運んでくれたこともあった。

 
    長年有り難う            愛車のクラウン



退役に踏み切った理由は、13年以上の車は車検費用が高くなるという事、ナビのタッチパネルが10年目頃から作動しなくなったことなどである。モノは長年使い続けると愛着が湧くものである。

 
  ラストラン途中パーキングエリアにて   ラストランは県庁まで

特に車はほとんど毎日使うモノなどで離しがたい気持ちが大きい。ラストランは佐賀県庁まで書類の提出と言う重要な仕事をこなしてくれた。車内を掃除し引き取りに来てくれたディーラーに渡した。13年もの長い間活躍してくれてありがとう。  


Posted by 古賀 等. 2013年03月27日00:14 | Comment(0) | 日記

タブレットを使いこなす?

伊万里商工会議所では年間数回のパソコン講習会を開催している。初心者から上級者までを対象に実施しているパソコン教室は人気がある。パソコンの普及率は、1990年代前半には10%台で一部の専門家やパソコンマニアが使う程度だったが、現在では8割近くの家庭に普及している(内閣府調査)。

 
       タブレットの使い方初心者編

昨年11月に開催されたパソコン教室で、“タブレット”の講習を受けた。このタブレットなるものは沢山のソフト(アプリケーション)が有りいろんな事が出来そうだ。驚いたのは優れた音声機能だ、待ち受け画面で“マイク”のマークがあり、それをタップし「伊万里の天気」と言えば一発で伊万里の天気が出てくるという優れものだ。

 
           いろんな機能が満載

今後はパソコンを抜いてタブレットが普及するとの予測だ。パソコンや携帯電話と同じようにこのタブレットも機能の一部しか使わない(イヤ!使えない)だろう。このタブレットは古希の記念にいただいたプレゼントだ。


古希の祝いに頂いたタブレット

ボケ防止も含めて早く使いこなせるようになりたいと新年に掲げた目標の一つだ。  


Posted by 古賀 等. 2013年01月21日20:00 | Comment(0) | 日記

東北被災地研修で貰ったエネルギー

昨年3月11日、外出先から会社に戻り玄関に入った途端「今、仙台空港が津波で水浸しです!」と急に襲った惨事を社員が興奮気味に教えてくれた。東日本大震災の情報を初めて知った瞬間だった。その仙台空港に今(10月19日)降り立った。今日から3日間、会議所主催の“東日本震災地視察研修”に参加をした。

  
    仙台空港へ着陸          被災状況の説明

仙台空港を出発、三陸自動車道から国道45号線に乗り途中休憩を取りながら気仙沼商工会議所に着いたのは夕方5時半だった。東北の夕暮れは早く薄暗くなりかけていた。我々一行が到着するのを全職員さんが待っていてくれていた。気仙沼商工会議所の事務局長さんが被災の状況をプロゼクターを使い紹介してくれた。

  
    非難した魚市場の屋上駐車場     気仙沼鹿折復興マルシェ


被災当時のTV放映で、気仙沼は町中が火の海になっていたのを思い出す。海岸にあった漁船用の重油タンク22基が流されそのタンクから溢れ出た重油に引火し、あの惨状になったとのこと。実際被災された方の生の声は切実だ。火の海の中で命を亡くされた方も大勢おられ、この時の惨状は仙台空襲以上だとの説明を受け熱いものが込み上げてきた。翌日は気仙沼魚市場を視察した。

  
     流された300トンの漁船       今も花を手向けられていた


この魚市場では3階建ての屋上駐車場に逃げて来た1000人近くの人が津波に流されたと聞き手を合わせずにはいられなかった。その後、“気仙沼鹿折復興マルシェ”という新しくできた商店街に行った。ここは27店舗が集まって開設した仮設市場である。この市場の近くには300トンの漁船が流れ着いていた。その後、隣町の陸前高田市を車上から視察した。

  
     被災した陸前高田市役所      今なお多くのガレキが・・・・・


この地も湾がV字型に入り組んでいるため13m以上の津波に襲われ4階建ての市役所を一飲みにしたと聞かされた。ここはまだ復旧が進まず、がれきの処理が続いていた。今回の視察研修で学んだ事は、被災をされマイナスの状態の中から必死で復興に向けて取り組んでおられる姿に逆に我々が勇気を貰ったような視察研修であった。<ガンバレ東北!!>  


Posted by 古賀 等. 2012年10月25日20:00 | Comment(0) | 日記

充電旅行(コスモス園)

久し振りに義弟夫婦を誘いキャンピングカーでの小旅行を思い立った。行く先は大分県中津市の“三光コスモス園”である。このコスモス園は休耕田16ヘクタールの水田(転作田を利用するために毎年変わる)に1600万本のコスモスを地元の耕作者が日本一のコスモス園を造ろうと始めた事業である。

 
    白色のコスモス             まだ3分咲き

当日(10月13日)のコスモスの開花状況は3分咲きと言ったところであったが、白色のコスモスは満開だった。入園料も駐車料も無料という事もあり時期的には少し早いにもかかわらず多くの見物客でにぎわっていた。見ごろは今月の下旬ごろだろう。

 
  1億円のトイレのある道の駅おうとう          温泉も併設   

見学後、宿泊予定の“道の駅おうとう”まで移動した。この道の駅おうとうは温泉施設が併設されていてキャンピングカーでの宿泊には最適の場所である。この道の駅は1億円のトイレがあることでも有名だ。翌日は日本3大カルスト台地で有名な平尾台に向かった。

 
    日本三大カルスト台地             遊園地

この平尾台は初めての見学地だ。ここも入園無料で駐車料(普通車300円)だけで一日中遊べる。この日は日曜日で家族連れの客が多かった。稲刈りを直前に控えての今回の小旅行は一時の充電旅行でもあった。  


Posted by 古賀 等. 2012年10月22日20:00 | Comment(0) | 日記

ミニ同窓会(・・・小旅行)

昨年、1年おきに開催している中学校の同窓会を“古希同窓会”と銘打って実施した。今年の4月、同級生の祝い事を兼ねた地元だけのミニ同窓会を開催した折に次回は島原でやろうと決まった。

 
   まず島原城見学から      そうめん流しで腹ごしらえ

いつものようにゴルフ組と観光組に分かれての“ミニ同窓会”である。今回の参加者はゴルフ組4人、観光組11人の総勢15人である。初日は全員が島原市内観光を堪能し、2日目はゴルフ組と観光組の2手に分かれる。

 
  龍馬は島原から上陸した        炭坑節も飛び出した

今回、ゴルフをあきらめ観光組に参加したのは観光組の中に車の運転をする者が居なかったからだ。初日は島原のホテルで盛大(?)な宴会である。参加者は4月に会った連中ばかりだが毎回、昔話に花が咲く。モノのない時代に育ったせいか気の許せる仲間ばかりだ。夜遅くまでカラオケで歌いまくる。

 
  イルカウオツチングに挑戦      子連れのイルカに対面

翌日は観光組を引き連れ“イルカウオツチング”に挑戦。波も穏やかで百頭近くのイルカに対面した。時期的に良く親子イルカにも対面できた。昼食は名物の“小浜ちゃんぽん”に舌鼓を打った。午後3時、ゴルフ組と合流し別れを惜しみながら帰路に就いた。  


Posted by 古賀 等. 2012年06月12日20:00 | Comment(0) | 日記

後進に道を・・・・・・

今回“護持会総会”で、菩提寺の総代(責任役員)を退任することになった。昨年11月晋山式(住職の交替)を行い新しい若い住職が誕生したことで役目を終えたと判断した。総代をさせて頂いた13年間、お檀家や僧侶の方との触れ合いの中で人としての生き方を学ばせて頂いた。


   花祭り(護持会総会)       菩提寺(本光寺) 

後進に道を譲るという考えは自分のポリシーでもある。丁度50歳の時、中学から続けていたバレーボールを辞めた。シニアチームとして県大会で3連覇をしたことも決断の理由だった。長年一緒に頑張ってきた仲間と離れは寂しい気もしたが、若い人が入りチームが若返ることも重要だと考えた。

           
                弊社社屋

3年前社長の座を後進に譲った。若い人材を育てるためには“後進に道を譲る”ということも重要である。しかし後進に道を譲って楽をしようという考えはない。

          
       里親制度(ミャンマー)の推進

次の仕事は50歳から始めたボランティア活動をさらに充実させたいと考えている。走り続けなければ急に老けてゆきそうな気がする。“生涯現役”で行こうと思う。  


Posted by 古賀 等. 2012年05月11日20:00 | Comment(0) | 日記

おらがむら(集落)

生まれ育った“おらがむら”は総戸数40戸足らずの集落である。我が集落の入り口にはお地蔵様が鎮座している。


     集落入口の民家       お地蔵様  

このお地蔵様は古くから我が集落の住民をはじめ集落に出入りする人々の守り神である。このお地蔵様は近くにある荒熊稲荷神社に参拝する信者の方が頻繁にお参りに来ておられる。


      チューリップ        地滑り危険区域標識


子どもの頃からお地蔵様の前を通る時には必ず頭を下げて通る癖が付いている。この季節には各家庭の庭先にいろんな花が咲いていて通勤途中に心を和ませてくれる。花の手入れをしていた奥様に「いつも楽しく見させてもらっています。


   減農薬栽培集落の標識   手入れの行き届いた花
          

有難うございます」と声をかけたら「もっときれいな花になるように手入れをしますよ!」と嬉しそうな声が返ってきた。“おらがむら“は世間の例に漏れず“少子高齢化”が進んで65歳以上の高齢者の割合が25%超になってしまった。


  3方山に囲まれた集落全景   公民館(まんさくの花)

しかし「限界集落」になることなく何時までも住みやすい“むら”であって欲しいと願う。季節ごとに変わる景色を楽しみながら日々通勤している。  


Posted by 古賀 等. 2012年04月20日18:00 | Comment(0) | 日記

入学式(小学校)

4月11日、市内の小学校の入学式が一斉に挙行された。毎年入学式の案内を頂くが仕事と重なりなかなか出席する機会が無かった。今年は友人からの誘いもあり出席させて頂いた。

 
      新入生入場       黄色い帽子の授与

今年の新入生はわずか21人である。全校生徒合わせても200名足らずの小学校である。昔は一学年だけでも200名近くの生徒がいたように思う。少子化という言葉がいろんな場面で出てくるが、今後もまだ減るのかと思うと寂しい限りである。

 
     6年生から歓迎の言葉    先生方の紹介

「ピッカピッカの一年生」という言葉があるがこの子たちが間違いなく将来の日本を背負う人材になるのだ。今の日本は経済をはじめすべてが縮小気味だがこの子たちが大人になる頃はどんな世の中になっているのだろうか。暮らし易い世の中になって欲しいと願わずにはおられない。  


Posted by 古賀 等. 2012年04月13日20:00 | Comment(0) | 日記

年賀状に思う

今年は年賀状を出すのを少し減らそうと思っていたが結果としては例年と同じになってしまった。頂く年賀状は年々変化があり時の流れを感じる。

20年近くお世話になっている“水”の第一人者でもあるK博士から頂いた賀状に「これが最後の便りになるかも」と書かれ、その横に94歳と書き添えられていた。


         年賀状

お元気な頃ミャンマーでご一緒に活動した思い出がよみがえって少しさびしい気がした。賀状を頂くのは最後でもいいからお元気でいて欲しいと願わずにはおられない。  


Posted by 古賀 等. 2012年01月20日20:00 | Comment(0) | 日記

孫は来てよし帰って良し

埼玉に住む孫たちが12日間の九州での生活を終え帰って行った。迎えに行くときは楽しいが見送りはチョット寂しい。これは単なるジーの感傷でバーにとってみれば少し違う。「帰ってホッとした」と言っていた。これは強がりかと思っていたがそうではなく本音らしい。友人の奥さんも孫を送るときに「しばらく帰って来なくてもいいよ」と真顔で言っていたそうだ。

 
     家族総出で見送り        手荷物検査場へ


男は好きな時に相手をしておればいいが、女性は食事や洗濯と日常と違って大変らしい。上の孫娘は今年高校受験というのにのんきに遊んでばかりいた。無理していい高校に進むことはしなくていい、それより人間として立派に育ってくれればとそんな気持ちで空港の検査場で見えなくなるまで見送った。  


Posted by 古賀 等. 2012年01月10日20:00 | Comment(0) | 日記

おめでとうございます(新年に思う)

毎年、年の初めには近隣地にある霊峰“黒髪山”にて“ご来光を拝む”という行事から始まる。今年も例年通り現地に7時集合(毎年3家族で登っている)という手筈で家族全員が登ったが、残念ながらご来光は見ることは出来なかった。昨年は雨のため登ることさえ断念せざるを得なかった。2年続きでご来光を見ることが出来ないということは過去無かったように思う。

 
     頂上を目指して         頂上天童岩にて

その後、近くの氏神様へお参りし家族揃ってお屠蘇を頂くのが恒例である。昨年の東日本大震災で家族を亡くされた人たちはどんな思いで正月を過ごしておられるのだろうか。ささやかでも家族そろって新年を迎えることが出来たことが申し訳ないような気がした。今年はどんな年になるのか、平穏な年であってほしいと同時に被災地の一日も早い復興を願わずにはおられない。  


Posted by 古賀 等. 2012年01月03日21:44 | Comment(2) | 日記

盛和塾佐賀12月度自主例会(忘年例会)

『盛和塾佐賀』の12月例会が九州大学伊都キャンパス内にある“稲盛財団記念館”で開催された。佐賀県内からは1時間半以上かかるが40名近くの塾生が集まりいつもの熱き勉強会になった。

 
      稲盛財団記念館          記念館全景

今回のメインテーマは第19回盛和塾世界大会のビデオ放映であった。これは世界大会に参加できなかった塾生に世界大会の熱気を感じてほしいという意図もあった。世界大会で経営体験発表をされた経営者の涙ぐましい努力の発表、それに対する稲盛塾長の適格なコメント、再度聞き直すことでまた多くの学びがあった。

 
        勉強会         全員”故郷”を合唱

懇親会の場では白熱した経営問答さながらの熱気あふれる意見交換の場になった。夜も更け最後に恒例の“故郷”を合唱しお開きとなった。今年は厳しい年であったが来年こそは良い年であることを念じながらそれぞれが帰路に就いた。  


Posted by 古賀 等. 2011年12月05日21:04 | Comment(0) | 日記

晋山式(しんさんしき)

菩提寺の大明山本光寺(佐賀県伊万里市)は曹洞宗のお寺である。曹洞宗は今から750年前に、道元禅師様によって開かれ、福井県の永平寺、横浜の總持寺を両大本山とする宗門である。

 
        洒水を受ける         新命住職と記念写真

この曹洞宗では新しい住職を迎える一大儀式を“晋山式”と言い非常に重要な行事である。当日はあいにくの雨で予定されていた稚児行列は中止になり、お宿の公民館で新命住職との記念撮影をするにとどまった。行列を楽しみにしていた我が家の孫も残念がっていたが、衣装を着て冠をかぶった姿を写真に収めてもらい満足気だった。

 
       任命を受ける          無着成恭老師の講演


晋山結制のすべての事業を滞りなく終えることが出来た。式典終了後“無着成恭老師”のご講演があり師のユーモア溢れるお話に、今まで緊張の連続であったが一気に和やかなムードに変わった。この一大事業は5~6年前から取り組み始め、物心両面からご協力を頂いた檀信徒の皆さんには心から感謝申し上げます。  


Posted by 古賀 等. 2011年11月17日20:00 | Comment(0) | 日記