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「いい話」のお裾分け・・・
ありがとう・ありがとう・ありがとう・ありがとう・ありがとう・ありがとう・ありがとう・・・・
親しくさせていただいている方から「暇なときに読んでください」と手渡されたA4の洋紙に書かれている「いい話」。独り占めにするには余りにも勿体無いと想い書かせて貰うことにした。
表題は“ありがとう“と記され文面は下記のようなものであった。
Kさんはいつも、誰に対しても、何があっても「ありがとう」と言い続けている。問題が起きても、クレームを言ってくるお客様に対しても、ひたすら「ありがとうございます」と言う。
また、Kさんは毎週ゴミを拾う活動もしている。ゴミを一つ拾うたびに「ありがとう」と言いながら‥‥。
Kさんが、毎日、どんなことに対しても「ありがとう」と言い続けている理由がある。
そのきっかけは、Kさんのおばあさんがつくってくれた。
Kさんがまだ若い頃のこと‥‥。家に帰ると、いつもおばあさんが何もしないでテレビを見ている。特に体が悪いわけでもないのに、何をするのも面倒そうにしている。一つひとつの動作が緩慢で、血気盛んだったKさんは、見ているだけでイライラしていた。
ある日、家に帰ると、ちょうど母がおばあさんに話しかけていた。「お風呂に、先に入ってください」おばあさんは聞こえなかったのか、テレビを見たまま、返事もしなかった。その姿を見たKさんは、おばあさんに罵声を浴びせかけた。「聞こえねえのかよ!早く風呂に入れって言ってんだよ!‥‥くそばばあ!!」
そしてKさんは、そのまま二階に駆け上がり、自分の部屋に入った。イライラして、持っていたカバンを、ベッドに投げ捨てた。
しばらくすると、誰かかが階段をダダダッと、勢いよく上がって来る音がした。バンッとドアを開けて入ってきたのは、母親だった。その顔は、見たこともないような必死の形相だった。「お、おばあちゃんが!!‥‥おばあちゃんが‥‥お風呂で‥‥」
事態を察したKさんは、すぐに部屋を飛び出して、お風呂場に走って行った。おばあさんは亡くなった‥‥。Kさんは、泣き叫んだ。Kさんが、最後におばあさんに言った言葉‥‥。
それは、「くそばばあ」だった。なんてひどい暴言を吐いてしまったのだろう。何でもっと優しい言葉で伝えなかったのだろう。
最後の言葉を思い出すたびに、悔しくて、悔しくて涙が止まらない。
あまりにひどいことをしてしまった自分を、どうしても許せない。おばあさんに生き返って欲しかった。そして、どうしても言いたかった。 「おばあさん、ありがとう」って。いま、Kさんは毎月、二回以上はお墓参りに行く。そして必ず、墓前にひざまづいて、おばあさんに言っている。
「おばあさんがいなければ、今の僕はないんだよね‥‥ありがとう」 「おばあさん‥‥ありがとう」 「おばあさん‥‥ありがとう‥‥」そんなKさんの夢。おばあさんに教えられた夢‥‥。それは、日本中を「ありがとう」で埋め尽くすこと。
親しくさせていただいている方から「暇なときに読んでください」と手渡されたA4の洋紙に書かれている「いい話」。独り占めにするには余りにも勿体無いと想い書かせて貰うことにした。
表題は“ありがとう“と記され文面は下記のようなものであった。
Kさんはいつも、誰に対しても、何があっても「ありがとう」と言い続けている。問題が起きても、クレームを言ってくるお客様に対しても、ひたすら「ありがとうございます」と言う。
また、Kさんは毎週ゴミを拾う活動もしている。ゴミを一つ拾うたびに「ありがとう」と言いながら‥‥。
Kさんが、毎日、どんなことに対しても「ありがとう」と言い続けている理由がある。
そのきっかけは、Kさんのおばあさんがつくってくれた。
Kさんがまだ若い頃のこと‥‥。家に帰ると、いつもおばあさんが何もしないでテレビを見ている。特に体が悪いわけでもないのに、何をするのも面倒そうにしている。一つひとつの動作が緩慢で、血気盛んだったKさんは、見ているだけでイライラしていた。
ある日、家に帰ると、ちょうど母がおばあさんに話しかけていた。「お風呂に、先に入ってください」おばあさんは聞こえなかったのか、テレビを見たまま、返事もしなかった。その姿を見たKさんは、おばあさんに罵声を浴びせかけた。「聞こえねえのかよ!早く風呂に入れって言ってんだよ!‥‥くそばばあ!!」
そしてKさんは、そのまま二階に駆け上がり、自分の部屋に入った。イライラして、持っていたカバンを、ベッドに投げ捨てた。
しばらくすると、誰かかが階段をダダダッと、勢いよく上がって来る音がした。バンッとドアを開けて入ってきたのは、母親だった。その顔は、見たこともないような必死の形相だった。「お、おばあちゃんが!!‥‥おばあちゃんが‥‥お風呂で‥‥」
事態を察したKさんは、すぐに部屋を飛び出して、お風呂場に走って行った。おばあさんは亡くなった‥‥。Kさんは、泣き叫んだ。Kさんが、最後におばあさんに言った言葉‥‥。
それは、「くそばばあ」だった。なんてひどい暴言を吐いてしまったのだろう。何でもっと優しい言葉で伝えなかったのだろう。
最後の言葉を思い出すたびに、悔しくて、悔しくて涙が止まらない。
あまりにひどいことをしてしまった自分を、どうしても許せない。おばあさんに生き返って欲しかった。そして、どうしても言いたかった。 「おばあさん、ありがとう」って。いま、Kさんは毎月、二回以上はお墓参りに行く。そして必ず、墓前にひざまづいて、おばあさんに言っている。
「おばあさんがいなければ、今の僕はないんだよね‥‥ありがとう」 「おばあさん‥‥ありがとう」 「おばあさん‥‥ありがとう‥‥」そんなKさんの夢。おばあさんに教えられた夢‥‥。それは、日本中を「ありがとう」で埋め尽くすこと。
届いた本(農は天地有情)に感動・・・
年賀状と一緒に一冊の新刊本が届いた。この本の題名は「農は天地有情」という難しい表題の本である。昨年暮れに出版された本で、送り主はこの本の著者で西日本新聞社の佐藤弘氏である。まえがきの部分を紹介させていただく。
『二月には、田んぼの畦を歩くとホトケノザの紅色の花、オオイヌノフグリの真っ青な花が一面に広がります。こんな時ですね、「天地有情」だと感じるのは。しかし、難しい表題ですよね。「農は天地有情」なんて。「生きもの」のことを昔は「有情」とも言いました。
人間も生きものの一員です。昔、「天地」と呼んでいたこの世界は、有情で満ちています。かつては、風も光も生きものとされていたように、天地有情の世界こそ、カネにはなりませんが、農の最大の生産物だという意味で、今回のタイトルに選びました。』

というまえがきで始まるこの本は、宇根豊さんという方が農業改良普及所の普及員として「減農薬運動」に取り組まれたその奮闘記を佐藤弘氏が聞き書きされたものである。
私も農業に関わる一員としてその内容には大いに共鳴すると同時にそしてその活動に大いに感動させられた。私自身、真夏の農薬散布で気分が悪くなった体験や、妻の健康診断で体内に残留農薬の反応が出たことから水稲にも農薬を散布しないようになってから15年近くなる。
今、我々の集落で行政指導のもとに“農地・水・環境向上対策”という事業に取り組んでいる。自然との共生を考えるときには、農薬の問題も同時に考えなければ片手落ちになるような気がする。この本はこの自然界に生かされている多くの人々に読んで欲しい本である。
『二月には、田んぼの畦を歩くとホトケノザの紅色の花、オオイヌノフグリの真っ青な花が一面に広がります。こんな時ですね、「天地有情」だと感じるのは。しかし、難しい表題ですよね。「農は天地有情」なんて。「生きもの」のことを昔は「有情」とも言いました。
人間も生きものの一員です。昔、「天地」と呼んでいたこの世界は、有情で満ちています。かつては、風も光も生きものとされていたように、天地有情の世界こそ、カネにはなりませんが、農の最大の生産物だという意味で、今回のタイトルに選びました。』

というまえがきで始まるこの本は、宇根豊さんという方が農業改良普及所の普及員として「減農薬運動」に取り組まれたその奮闘記を佐藤弘氏が聞き書きされたものである。
私も農業に関わる一員としてその内容には大いに共鳴すると同時にそしてその活動に大いに感動させられた。私自身、真夏の農薬散布で気分が悪くなった体験や、妻の健康診断で体内に残留農薬の反応が出たことから水稲にも農薬を散布しないようになってから15年近くなる。
今、我々の集落で行政指導のもとに“農地・水・環境向上対策”という事業に取り組んでいる。自然との共生を考えるときには、農薬の問題も同時に考えなければ片手落ちになるような気がする。この本はこの自然界に生かされている多くの人々に読んで欲しい本である。
人がやらないこと
人生の中で心に残る言葉がいくつかある。数ヶ月前のブログに書いた「人並みならば人なみぞ、人並みはずれにゃはずれんぞ!」という言葉は50年経った今でも脳裏に鮮明に残っている。
この言葉は高校生のとき講演に来たある篤農家講師が講演の中で言った言葉である。「農業でも商売でも“人がやらないこと”をやらないと儲からない」ということである。
すべてがそうだとは思わないが一理ある言葉であり、心に残っている言葉である。自分には5歳と9歳年下の弟がいる。父を早く亡くした(小学6年の時)ので、親代わりとして二人の弟を大学にやらなければならないと言う責任が覆いかぶさってきた、そのために多額のお金が要る。
その頃(22~3才)、片手間に飼っていた肥育牛を増やすことにした。当時農協には預託牛という制度があった。これは、素牛も飼料も農協が提供するので資金は要らない。しかし、利益の中から手数料を引かれるので手取りが少なくなる。
そんな思いから5人でグループを作り素牛も農協や家畜商を通さず直接牛の生産地(熊本)に買いに行き、販売も福岡の食肉市場に直接出荷するという“人がやらないこと”をやり始めた。
この“人がやらないこと”は今でも企業経営の中に生かしている。今年の経済環境は今までにない厳しい状況になる。今までの考えやり方や、やり方は通用しない時代になっている。今こそ、このだれもやらない「差別化」でこの難局を乗り切ろうと心新たにしているところである。
この言葉は高校生のとき講演に来たある篤農家講師が講演の中で言った言葉である。「農業でも商売でも“人がやらないこと”をやらないと儲からない」ということである。
すべてがそうだとは思わないが一理ある言葉であり、心に残っている言葉である。自分には5歳と9歳年下の弟がいる。父を早く亡くした(小学6年の時)ので、親代わりとして二人の弟を大学にやらなければならないと言う責任が覆いかぶさってきた、そのために多額のお金が要る。
その頃(22~3才)、片手間に飼っていた肥育牛を増やすことにした。当時農協には預託牛という制度があった。これは、素牛も飼料も農協が提供するので資金は要らない。しかし、利益の中から手数料を引かれるので手取りが少なくなる。
そんな思いから5人でグループを作り素牛も農協や家畜商を通さず直接牛の生産地(熊本)に買いに行き、販売も福岡の食肉市場に直接出荷するという“人がやらないこと”をやり始めた。
この“人がやらないこと”は今でも企業経営の中に生かしている。今年の経済環境は今までにない厳しい状況になる。今までの考えやり方や、やり方は通用しない時代になっている。今こそ、このだれもやらない「差別化」でこの難局を乗り切ろうと心新たにしているところである。