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5S・2回目のチェック
今日は急に冷え込み最低気温が1℃まで下がった。お昼頃になると山手は小雪が舞い、冬の到来である。12月も下旬だから雪が舞うのは当たり前だが最近は地球温暖化の影響で暖かい日が続いていたので急な寒さは身にしみる。
月に2回の5Sの勉強会では、各企業の5Sの進捗状況をチェックすることになっている。今日の勉強会は、弊社がチェックされる日である。
参加企業が8社あり、午前と午後に分け2社をチェックするので2ヶ月に一度それぞれの会社が5Sの進捗状況をチェックされる。前回の弊社訪問で、指摘を受けた改善事項がどの程度進んでいるかもチェックされる。

5Sの評価状況
12月の始めまでは残業続きで弊社の5Sはほとんど進んでいなかった。その遅れを取り返すべく一日かけて整理・整頓・清掃(3S)に取り組んだ。指摘事項の6割程度は出来たと思っていたがまだまだ不十分な点が多く今回の勉強会でも多くの指摘事項があった。
他社の人たちに厳しくチェックをしていただくので自社だけでやる5Sとは違い社員のモチベーションも高まる。このように産業支援センターの指導の下に、専門のアドバイザーからの指摘は学ぶ点が多く非常にあり難い。
将来、他社から見学に来るような会社にしようと全員で頑張っているところである。
月に2回の5Sの勉強会では、各企業の5Sの進捗状況をチェックすることになっている。今日の勉強会は、弊社がチェックされる日である。
参加企業が8社あり、午前と午後に分け2社をチェックするので2ヶ月に一度それぞれの会社が5Sの進捗状況をチェックされる。前回の弊社訪問で、指摘を受けた改善事項がどの程度進んでいるかもチェックされる。

5Sの評価状況
12月の始めまでは残業続きで弊社の5Sはほとんど進んでいなかった。その遅れを取り返すべく一日かけて整理・整頓・清掃(3S)に取り組んだ。指摘事項の6割程度は出来たと思っていたがまだまだ不十分な点が多く今回の勉強会でも多くの指摘事項があった。
他社の人たちに厳しくチェックをしていただくので自社だけでやる5Sとは違い社員のモチベーションも高まる。このように産業支援センターの指導の下に、専門のアドバイザーからの指摘は学ぶ点が多く非常にあり難い。
将来、他社から見学に来るような会社にしようと全員で頑張っているところである。
ピンチの裏側のチャンス
世界大不況は、超優良企業にまで大打撃を与えている。全世界が大ピンチである。しかし、このピンチの裏側にはチャンスが隠されている事も確かである。
この時期にチャンスと見て立ち向かうか、ピンチだと現状からから逃げるか。破綻寸前のアメリカのビッグスリーは政府に援助を求めている。われわれ中小零細企業は、頼れるものは自分自身しかいない。我が社も前期の前半はまさに大ピンチであった。
「神様は決してピンチだけを おあたえにならない ピンチの裏側に必ず ピンチと同じ大きさのチャンスを 用意して下さっている グチをこぼしたりヤケを起こすと チャンスを見つける目がくもり ピンチを切り抜けるエネルギー さえ失せてしまう ピンチはチャンス どっしりとかまえ ピンチの裏側に用意されてる チャンスを見つけよう」 (山本よしき)

この言葉を印刷したものを手帳に貼り毎日読み返し自らを励まし続けた。前期は、スタートの時点から原材料の高騰が原因で売り上げ利益ともに伸び悩んだ。しかし後半になって受注が増え毎日3時間の残業と、外注、臨時工員の応援で受注を消化することが出来た。
どんなピンチが来ようともあわてず、騒がず、常に平常心で事に当たることの重要性を学んだ。この不況をチャンスと捉えプラス思考で攻めの経営をやるべきである。マスコミの不況音頭に踊らされることなく積極思考で取り組めば道は必ず開ける。ピンチの裏側にチャンスあり・・・・!!
この時期にチャンスと見て立ち向かうか、ピンチだと現状からから逃げるか。破綻寸前のアメリカのビッグスリーは政府に援助を求めている。われわれ中小零細企業は、頼れるものは自分自身しかいない。我が社も前期の前半はまさに大ピンチであった。
「神様は決してピンチだけを おあたえにならない ピンチの裏側に必ず ピンチと同じ大きさのチャンスを 用意して下さっている グチをこぼしたりヤケを起こすと チャンスを見つける目がくもり ピンチを切り抜けるエネルギー さえ失せてしまう ピンチはチャンス どっしりとかまえ ピンチの裏側に用意されてる チャンスを見つけよう」 (山本よしき)

この言葉を印刷したものを手帳に貼り毎日読み返し自らを励まし続けた。前期は、スタートの時点から原材料の高騰が原因で売り上げ利益ともに伸び悩んだ。しかし後半になって受注が増え毎日3時間の残業と、外注、臨時工員の応援で受注を消化することが出来た。
どんなピンチが来ようともあわてず、騒がず、常に平常心で事に当たることの重要性を学んだ。この不況をチャンスと捉えプラス思考で攻めの経営をやるべきである。マスコミの不況音頭に踊らされることなく積極思考で取り組めば道は必ず開ける。ピンチの裏側にチャンスあり・・・・!!
誕生日の想い・・・・
先日、保険会社の方から誕生日プレゼントに“おもいで新聞”と言うチラシをいただいた。その新聞には生まれた年の出来事が書いてあった。
昭和16年という年は、アメリカ大統領ルーズベルトが「4つの自由」を演説。米の配給通帳制が実施されるなどと共に、日本軍、ハワイ真珠湾を奇襲とあった。所謂12月8日の大東亜戦争(第二次世界大戦)勃発である。
生まれた年に起きたこの大戦にはことのほか強い想いがある。今日の日本があるのは、この大戦で亡くなった人々、九死に一生の思いで戦地から帰還した人たちの必死の頑張りである。
敗戦の焦土の中から、これらの人々の働きが日本を経済大国世界第二位の地位まで築いてくれたのである。そのことを決して忘れてはならないと思う。この大戦では、二十歳前後の前途ある若い青年が“お国のため”という名目のもと、祖国日本を守るために尊い命を捧げたという事実を忘れてはならない。

日本軍の戦車(カンナジョン寺院)
特にミャンマーでは20万人もの日本人が亡くなっている。戦況悪化する中、逃げ惑う日本兵を匿ってくれたり、ロンジー(巻きスカート)の中に食料を隠し持って日本兵に差し出したり、日本人の命を救ってくれたミャンマーの人々の恩も忘れてはならない。

井戸水を汲むミャンマーの婦人
そんな想いからミャンマーとの関わりを続けている。そんな大戦の事実が時間の経過と共に忘れ去られいくのは寂しく悲しいことである。ミャンマーでは今でも、あの木の下に日本人が埋葬されているというような話は枚挙にいとまがない。
大戦中、日本人の命を救ってくれたミャンマーの人々に少しでも恩返しの真似事が出来ればと言う想いから支援活動を続けさせて頂いている。
昭和16年という年は、アメリカ大統領ルーズベルトが「4つの自由」を演説。米の配給通帳制が実施されるなどと共に、日本軍、ハワイ真珠湾を奇襲とあった。所謂12月8日の大東亜戦争(第二次世界大戦)勃発である。
生まれた年に起きたこの大戦にはことのほか強い想いがある。今日の日本があるのは、この大戦で亡くなった人々、九死に一生の思いで戦地から帰還した人たちの必死の頑張りである。
敗戦の焦土の中から、これらの人々の働きが日本を経済大国世界第二位の地位まで築いてくれたのである。そのことを決して忘れてはならないと思う。この大戦では、二十歳前後の前途ある若い青年が“お国のため”という名目のもと、祖国日本を守るために尊い命を捧げたという事実を忘れてはならない。

日本軍の戦車(カンナジョン寺院)
特にミャンマーでは20万人もの日本人が亡くなっている。戦況悪化する中、逃げ惑う日本兵を匿ってくれたり、ロンジー(巻きスカート)の中に食料を隠し持って日本兵に差し出したり、日本人の命を救ってくれたミャンマーの人々の恩も忘れてはならない。

井戸水を汲むミャンマーの婦人
そんな想いからミャンマーとの関わりを続けている。そんな大戦の事実が時間の経過と共に忘れ去られいくのは寂しく悲しいことである。ミャンマーでは今でも、あの木の下に日本人が埋葬されているというような話は枚挙にいとまがない。
大戦中、日本人の命を救ってくれたミャンマーの人々に少しでも恩返しの真似事が出来ればと言う想いから支援活動を続けさせて頂いている。
南蔵院の涅槃像を訪ねて(福岡・篠栗)・・・
11月23日、久しぶりに福岡県篠栗町の南蔵院を訪ねる機会を得た。この南蔵院に平成7年、世界最大級の涅槃像(青銅製)が建立された。この涅槃像の完成を祝って行われた落慶法要は、戦後50年という節目に、先の大戦で亡くなられた戦没者の慰霊を兼ねて執り行われたものである。
この法要は“せんそう法要”と銘打って、戦争と、千僧(千人の僧侶)をかけて執り行われた。この千人の僧侶は日本国内をはじめアジアの各国から招聘された。

総勢1300人もの僧侶により“せんそう法要”は厳かに執り行われた。ミャンマー国からも、50名の高僧と10名の随行員、計60人ものミャンマー人が招聘された。

この招聘のためにミャンマー政府との交渉や日本に滞在中(1週間)の世話などさせていただいた。ミャンマーとのかかわりは1992年から始めた、「浄水機」を贈る活動である。この国はアジアの地域のなかでも、5歳児未満の乳幼児の死亡率が高い国である。
それは不衛生な水に起因する下痢症などで幼い子供の命が失われていくのである。この子供たちの命を救おうと始めたプロゼクト(http://npo-mis.org/mis/index.html>国際協力の会MIS)で3箇所に浄水システムを設置させていただいた。そのようなミャンマーとのかかわりで日本への招聘の手伝いをさせていただいた。

ミャンマーは人口の9割が敬虔な仏教徒の国で、日本とのかかわりも多い国である。ミャンマー仏教界のトップクラスの僧侶で、大半が来日は始めてという方ばかりだった。この60人のミャンマーの人々を無事に日本から送り出すまでは非常に気を使った。涅槃像を眺めながらそんな思い出がよみがえってきた。
この法要は“せんそう法要”と銘打って、戦争と、千僧(千人の僧侶)をかけて執り行われた。この千人の僧侶は日本国内をはじめアジアの各国から招聘された。

総勢1300人もの僧侶により“せんそう法要”は厳かに執り行われた。ミャンマー国からも、50名の高僧と10名の随行員、計60人ものミャンマー人が招聘された。

この招聘のためにミャンマー政府との交渉や日本に滞在中(1週間)の世話などさせていただいた。ミャンマーとのかかわりは1992年から始めた、「浄水機」を贈る活動である。この国はアジアの地域のなかでも、5歳児未満の乳幼児の死亡率が高い国である。
それは不衛生な水に起因する下痢症などで幼い子供の命が失われていくのである。この子供たちの命を救おうと始めたプロゼクト(http://npo-mis.org/mis/index.html>国際協力の会MIS)で3箇所に浄水システムを設置させていただいた。そのようなミャンマーとのかかわりで日本への招聘の手伝いをさせていただいた。

ミャンマーは人口の9割が敬虔な仏教徒の国で、日本とのかかわりも多い国である。ミャンマー仏教界のトップクラスの僧侶で、大半が来日は始めてという方ばかりだった。この60人のミャンマーの人々を無事に日本から送り出すまでは非常に気を使った。涅槃像を眺めながらそんな思い出がよみがえってきた。