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ミャンマー訪問4日目
ミャンマーへ来て今日で4日目である。今日は浄水機を設置する予定地の現地調査が主な目的である。設置予定地は日本人の方が寄贈された学校である。
これ等の学校にはお金が無くて公立の学校に行けない子供たちを集めて僧侶(僧院)が経営している学校で、通称「寺子屋」と呼ばれている学校である。寺子屋とはいっても生徒数は100人から400人の貧しい子供たちが学んでいる。
ミャンマーは割合に識字率の高い国である。日本人が建てられた4つの学校を訪問したが、4つの学校で共通して言えることは、いずれの学校も水が不足していること、不衛生な水を飲んだ子供たちの間に下痢をする子供が多いことである。


オーボ寺院 ナンダ寺院
ジャパンハートがこれ等の学校に救急用の「置き薬」を置くと共に生徒たちに衛生教育と、置き薬の使用状況の確認をしている。


ペレー寺院 ミーテンジャン寺院
支援活動(ボランティア)は、事前の調査と調査に基づいた綿密な計画と、実施後のチェックを十分に行わないと奉仕が無駄に終わってしまうケースが多い。せっかく寄贈された建物や設備が放置されたままの物件も多くあると聞く。
寄贈されたものが効果的に使われているかどうかのチェックも重要である。浄水機も設置してから13年が経過する。10年経過すれば役目も十分果たされたから、もういいじゃないかという声も聴く。
しかし、貴重なお金や労力が使われたものである。チェックやメンテナンスをしながら使える間は使って欲しいし、贈った者の任務ではないだろうか。
これ等の学校にはお金が無くて公立の学校に行けない子供たちを集めて僧侶(僧院)が経営している学校で、通称「寺子屋」と呼ばれている学校である。寺子屋とはいっても生徒数は100人から400人の貧しい子供たちが学んでいる。
ミャンマーは割合に識字率の高い国である。日本人が建てられた4つの学校を訪問したが、4つの学校で共通して言えることは、いずれの学校も水が不足していること、不衛生な水を飲んだ子供たちの間に下痢をする子供が多いことである。


オーボ寺院 ナンダ寺院
ジャパンハートがこれ等の学校に救急用の「置き薬」を置くと共に生徒たちに衛生教育と、置き薬の使用状況の確認をしている。


ペレー寺院 ミーテンジャン寺院
支援活動(ボランティア)は、事前の調査と調査に基づいた綿密な計画と、実施後のチェックを十分に行わないと奉仕が無駄に終わってしまうケースが多い。せっかく寄贈された建物や設備が放置されたままの物件も多くあると聞く。
寄贈されたものが効果的に使われているかどうかのチェックも重要である。浄水機も設置してから13年が経過する。10年経過すれば役目も十分果たされたから、もういいじゃないかという声も聴く。
しかし、貴重なお金や労力が使われたものである。チェックやメンテナンスをしながら使える間は使って欲しいし、贈った者の任務ではないだろうか。
ミャンマー訪問3日目
3日目の朝5時半起床、朝食を済ませロビーで待っていると、7時丁度に迎えのタクシーが来た。ミャンマーでもタクシーは日本製の古い車である。
ホテルのフロントマンが“エアコン付きのタクシー”を呼んでくれた。早朝なのであまり暑くないのにエアコンをガンガン効かせながら迎えに来てくれた。今日は、このタクシーを一日借り切ってワッチェから150km離れたメティラまで行く。これまで設置した浄水機のメンテナンスをするためである。
以前は、メティラまでの道は舗装道路と言っても簡易舗装で道幅は広いのに中央の車の幅だけが舗装されていた。離合するときにはお互いが片輪を地道に落として離合していた。しかし、最近マンダレーからヤンゴンまでの道路が改修されたそうで舗装の状態も非常によく道幅いっぱいに舗装されていた。


水を汲む人々 水質検査
3時間あまりの行程で目的地のメティラに着いた。最初に、1996年にカンナジョン寺院に設置した浄水機をチェックした。設置後13年が経過しているが、水質は非常に良かった。今でも毎日大勢の人がこの浄水機の水をくみに来ているそうだ。2号機は1999年にメティラ中央病院に設置した。


中央市場の浄水機 メティラ中央病院の浄水機
3号機は2002年メティラ市民が大勢集まる中央市場に設置した。いずれも水質は良く大勢の人たちに利用されていることに感謝、感謝。それぞれの浄水機のメンテナンスを終え、出発地のワッチェ慈善病院に着いたのは5時過ぎだった。1日貸し切ったタクシー代は7万2000チャット(約7200円)だった。
ホテルのフロントマンが“エアコン付きのタクシー”を呼んでくれた。早朝なのであまり暑くないのにエアコンをガンガン効かせながら迎えに来てくれた。今日は、このタクシーを一日借り切ってワッチェから150km離れたメティラまで行く。これまで設置した浄水機のメンテナンスをするためである。
以前は、メティラまでの道は舗装道路と言っても簡易舗装で道幅は広いのに中央の車の幅だけが舗装されていた。離合するときにはお互いが片輪を地道に落として離合していた。しかし、最近マンダレーからヤンゴンまでの道路が改修されたそうで舗装の状態も非常によく道幅いっぱいに舗装されていた。


水を汲む人々 水質検査
3時間あまりの行程で目的地のメティラに着いた。最初に、1996年にカンナジョン寺院に設置した浄水機をチェックした。設置後13年が経過しているが、水質は非常に良かった。今でも毎日大勢の人がこの浄水機の水をくみに来ているそうだ。2号機は1999年にメティラ中央病院に設置した。


中央市場の浄水機 メティラ中央病院の浄水機
3号機は2002年メティラ市民が大勢集まる中央市場に設置した。いずれも水質は良く大勢の人たちに利用されていることに感謝、感謝。それぞれの浄水機のメンテナンスを終え、出発地のワッチェ慈善病院に着いたのは5時過ぎだった。1日貸し切ったタクシー代は7万2000チャット(約7200円)だった。
ミャンマー訪問2日目
ヤンゴンから目的地のマンダレーまでは飛行機で行くほうが楽である。バスや列車もあるが、どちらも時間がかかり疲れる。一度だけ列車で行ったことがあるが、地道を車で走るような揺れには驚いた。
起床は4時半、ホテルのすぐ前が空港で歩いても行ける距離だが旅行会社が差し向けてくれたタクシーが迎えに来てくれた。国内線の空港内も3年前と比べきれいに整備され、小奇麗な喫茶バーもあった。航空会社は“エアーバガン”で90人乗りのジェットが就航していた。
6時15分のフライトでそれほど遅れることなく飛び立った。途中ニャンウーという空港に立ち寄る、ここはバガンの遺跡めぐりの客が降りるところだ。ニャンウーを飛び立って50分で目的地のマンダレーに着いた。
マンダレーはミャンマー第2の都市である。ここでも旅行社差し向けのタクシーが待機してくれていた。言葉はぜんぜん通じないが、「ワッチェ」という言葉だけが通じたようだ。これはジャパンハートの吉岡医師が活動している病院で、そこの地名をとって「ワッチェ慈善病院」という僧侶が運営している病院の名前である。

ワッチェ慈善病院
9時過ぎに到着後、吉岡医師との打ち合わせを短時間に済ませ、大勢の患者が待ち受けている病棟に移動する。早速診療にかかられる。一昼夜かけてやって来たという患者もいる。午前中に20数人の患者の診察や治療を済ませ、昼食後休む暇も無く午後からは6人の手術が待っている。


手 術 診 察
この時期は日本人医者の交代の時期で吉岡医師は孤軍奮闘の大活躍をされていた。設備も医薬品も不足している中での診療活動は並々ならぬ苦労があろう事が伺われる。
起床は4時半、ホテルのすぐ前が空港で歩いても行ける距離だが旅行会社が差し向けてくれたタクシーが迎えに来てくれた。国内線の空港内も3年前と比べきれいに整備され、小奇麗な喫茶バーもあった。航空会社は“エアーバガン”で90人乗りのジェットが就航していた。
6時15分のフライトでそれほど遅れることなく飛び立った。途中ニャンウーという空港に立ち寄る、ここはバガンの遺跡めぐりの客が降りるところだ。ニャンウーを飛び立って50分で目的地のマンダレーに着いた。
マンダレーはミャンマー第2の都市である。ここでも旅行社差し向けのタクシーが待機してくれていた。言葉はぜんぜん通じないが、「ワッチェ」という言葉だけが通じたようだ。これはジャパンハートの吉岡医師が活動している病院で、そこの地名をとって「ワッチェ慈善病院」という僧侶が運営している病院の名前である。

ワッチェ慈善病院
9時過ぎに到着後、吉岡医師との打ち合わせを短時間に済ませ、大勢の患者が待ち受けている病棟に移動する。早速診療にかかられる。一昼夜かけてやって来たという患者もいる。午前中に20数人の患者の診察や治療を済ませ、昼食後休む暇も無く午後からは6人の手術が待っている。


手 術 診 察
この時期は日本人医者の交代の時期で吉岡医師は孤軍奮闘の大活躍をされていた。設備も医薬品も不足している中での診療活動は並々ならぬ苦労があろう事が伺われる。
ミャンマー訪問初日
3月24日、“医者の卵”の甥っ子と2人でミャンマーを訪問することになった。今回の訪問の目的は、13年前に設置した浄水機のメンテナンスと、甥っ子にミャンマーで医療活動をしているNPO法人「ジャパンハート」で短期研修を体験させることが主な目的であった。
福岡を11時45分に出発し、タイのバンコクに現地時間で15時35分に到着する。日本とタイとの時差は2時間だから約6時間のフライトである。バンコクでは約2時間の待ち時間があり現地時間で17時55分に出発しミャンマーのヤンゴンに18時40分に到着した。タイとミャンマーの時差が30分あるので1時間15分のフライトである。

今回は3年ぶりの訪問である。2つの大きな変化に遭遇した。1つ目はバンコク国際空港の免税店などがリニューアルされていたこと、あと1つはヤンゴン空港では機内からボーディング・ブリッジを通って降りたことである。
日本との気温の差は20度以上あるのでヤンゴン国際空港に降り立つと“ムッ”とするミャンマー特有の熱気を感じるのでやっと着いたという期待と不安が今回は薄らいだ感じである。
前回までの訪問では飛行機から空港まではバスで移動していたので大きな変化である。その夜は空港前のシーズンズ・オブ・ヤンゴンに宿泊することにした。
福岡を11時45分に出発し、タイのバンコクに現地時間で15時35分に到着する。日本とタイとの時差は2時間だから約6時間のフライトである。バンコクでは約2時間の待ち時間があり現地時間で17時55分に出発しミャンマーのヤンゴンに18時40分に到着した。タイとミャンマーの時差が30分あるので1時間15分のフライトである。

ゴールデンロック
今回は3年ぶりの訪問である。2つの大きな変化に遭遇した。1つ目はバンコク国際空港の免税店などがリニューアルされていたこと、あと1つはヤンゴン空港では機内からボーディング・ブリッジを通って降りたことである。
日本との気温の差は20度以上あるのでヤンゴン国際空港に降り立つと“ムッ”とするミャンマー特有の熱気を感じるのでやっと着いたという期待と不安が今回は薄らいだ感じである。
前回までの訪問では飛行機から空港まではバスで移動していたので大きな変化である。その夜は空港前のシーズンズ・オブ・ヤンゴンに宿泊することにした。