スポンサーサイト
大人気の移動水族館 (1)
知人から「仕事に関するブログが少ないですね。なぜ書かないのですか?」との質問を受けた。言われてみると確かに仕事に関するブログは書いていなかった。
我社の主力商品は魚を生かしたまま遠隔地へ運ぶ「活魚輸送車」と、その活魚を生かしておく「イケス」の製作をしている。お客様は、北は北海道から南は沖縄までいらっしゃる。中国にも活魚タンクを5台ほど輸出した経験がある。しかし、中国での活魚輸送は少なく、これから伸びる分野である。

活魚輸送車

大型イケス
運ぶ魚は「食」としての魚だけではなく「見る」ための設備も作っている。水族館用の活魚輸送車や、「移動水族館」などがそれである。水族館で使われる「活魚輸送車」は大型の魚も運ぶので水槽も当然大型の水槽になる。

水族館用活魚輸送車
移動水族館は、海の魚と接する機会の少ない子どもたちのために「水族館」が山奥まで出かけて行く。泳ぎまわる海の魚を直接手で触る事が出来るので子どもたちは大喜びである。この「移動水族館」は大変な人気で、各地から声がかかりフル活動をしている。

移動水族館
大人気のため現在2台目を製作中である。完成の暁には是非ご紹介したい。
我社の主力商品は魚を生かしたまま遠隔地へ運ぶ「活魚輸送車」と、その活魚を生かしておく「イケス」の製作をしている。お客様は、北は北海道から南は沖縄までいらっしゃる。中国にも活魚タンクを5台ほど輸出した経験がある。しかし、中国での活魚輸送は少なく、これから伸びる分野である。

活魚輸送車

大型イケス
運ぶ魚は「食」としての魚だけではなく「見る」ための設備も作っている。水族館用の活魚輸送車や、「移動水族館」などがそれである。水族館で使われる「活魚輸送車」は大型の魚も運ぶので水槽も当然大型の水槽になる。

水族館用活魚輸送車
移動水族館は、海の魚と接する機会の少ない子どもたちのために「水族館」が山奥まで出かけて行く。泳ぎまわる海の魚を直接手で触る事が出来るので子どもたちは大喜びである。この「移動水族館」は大変な人気で、各地から声がかかりフル活動をしている。

移動水族館
大人気のため現在2台目を製作中である。完成の暁には是非ご紹介したい。
「飛べない鳥たちへ」出版
先月の初め「NPO法人 ジャパンハート」の事務局から吉岡医師が近々、本が出版されるとの連絡を受け心待ちにしていた。その本が今日届いた。
著者の吉岡医師とミャンマーで共に活動をはじめたのは13年前のことである。ボランティアに参加してから17年が経過したが、吉岡医師との出会いが無かったらこれほど長くは続いてはいない。
当時、吉岡医師は他のNPO組織に所属しておられた。そのNPOが出すという給与を断られた。無給というわけには行かないとの事で仕方なく受け取ることにされた。その1年分の給与すべてを投げ出し小さな診療所を建設されたのである。

飛べない鳥たちへ
これはほんの一例で、彼は私財を投げ出してボランティア活動をしておられる。このことを知ったときから私自身、ボランティアに対する考え方、一人の人間としての考え方が変わった。彼が主宰する「NPO法人 ジャパンハート」に参加する人達はすべて吉岡医師の考えに賛同する“本物”の人々が集まって来る。
参加する医師や看護師はすべて自費で参加することに何の抵抗も無い人達である。彼から教わった“利他の心”や“慈悲の心”は私自身の人生を大きく変えた。この本は一人でも多くの人に読んでもらいたい“人生の指針書”である。
著者の吉岡医師とミャンマーで共に活動をはじめたのは13年前のことである。ボランティアに参加してから17年が経過したが、吉岡医師との出会いが無かったらこれほど長くは続いてはいない。
当時、吉岡医師は他のNPO組織に所属しておられた。そのNPOが出すという給与を断られた。無給というわけには行かないとの事で仕方なく受け取ることにされた。その1年分の給与すべてを投げ出し小さな診療所を建設されたのである。

飛べない鳥たちへ
これはほんの一例で、彼は私財を投げ出してボランティア活動をしておられる。このことを知ったときから私自身、ボランティアに対する考え方、一人の人間としての考え方が変わった。彼が主宰する「NPO法人 ジャパンハート」に参加する人達はすべて吉岡医師の考えに賛同する“本物”の人々が集まって来る。
参加する医師や看護師はすべて自費で参加することに何の抵抗も無い人達である。彼から教わった“利他の心”や“慈悲の心”は私自身の人生を大きく変えた。この本は一人でも多くの人に読んでもらいたい“人生の指針書”である。
失敗から学ぶ経営学(1)
京セラの稲盛和夫名誉会長が、日本の中小企業の経営者を対象にボランティアで経営指導をしておられる「盛和塾」というのがある。現在、海外も含めて90塾、5,000名の塾生が自社の発展・成長のために“真剣”に学んでいる。
創業37年の弊社も「盛和塾」で学ばせてもらっている。37年を振り返ってみるとまさに波乱万丈の歴史であった。創業5年目ごろの出来事である。弊社は創業時からFRP製品の製造販売をさせていただいている。
当時は経営体質も貧弱であった(今も大して変らないが・・・・)。隣の長崎県に、FRP魚船を製造する会社が在りその下請けをすることになった。取引を始めた当初は信用もなく小さな船の部品のみを作っていた。
1年を過ぎた頃には受注も増え、漁船のキャビンや本体(船穀:ハル)も造るようになった。最初の頃は、利益は出なかったが、しばらくすると利益も出始めた。ちょうどその頃「200海里問題」が発生し漁船の需要が急激に減少した。
月間1000万円近くあった売り上げが2~3ヶ月の間に0(ゼロ)になってしまった。他の部門で利益を出したので倒産の危機からは免れたが忘れられない失敗体験であった。
この失敗から学んだことは、1社取引をしてはならない。出来れば下請けではなく自社ブランドの商品を作ること。その自社ブランドの商品は大企業が真似できない「隙間商品」を探すことなどである。
失敗から学ぶことはたくさんあるが、熱意と執念を持って決して諦めないことが重要である。
創業37年の弊社も「盛和塾」で学ばせてもらっている。37年を振り返ってみるとまさに波乱万丈の歴史であった。創業5年目ごろの出来事である。弊社は創業時からFRP製品の製造販売をさせていただいている。
当時は経営体質も貧弱であった(今も大して変らないが・・・・)。隣の長崎県に、FRP魚船を製造する会社が在りその下請けをすることになった。取引を始めた当初は信用もなく小さな船の部品のみを作っていた。
1年を過ぎた頃には受注も増え、漁船のキャビンや本体(船穀:ハル)も造るようになった。最初の頃は、利益は出なかったが、しばらくすると利益も出始めた。ちょうどその頃「200海里問題」が発生し漁船の需要が急激に減少した。
月間1000万円近くあった売り上げが2~3ヶ月の間に0(ゼロ)になってしまった。他の部門で利益を出したので倒産の危機からは免れたが忘れられない失敗体験であった。
この失敗から学んだことは、1社取引をしてはならない。出来れば下請けではなく自社ブランドの商品を作ること。その自社ブランドの商品は大企業が真似できない「隙間商品」を探すことなどである。
失敗から学ぶことはたくさんあるが、熱意と執念を持って決して諦めないことが重要である。
百姓の生命線「水」の管理
我が集落は戸数40戸足らずの山間(やまあい)の小さな集落である。 そのうち農家戸数が15戸ある。今日は5月末の日曜日、田植えを直前控え農業用水路の掃除である。
掃除といっても、それ程生易しいものではない。隣町にある溜池まで総延長7kmもある水路の掃除は大変な作業である。その水路の一部に、傾斜角度が45度以上の水路もある。また山の中を通る水路には10か月分の落ち葉や土砂が堆積している。
またイノシシが水路横の土や石を水路内に落としている。専門家の弁によれば水路の周りの肥沃な土の中に居るミミズをイノシシが食べるために土や石を掘り起こすのだという。ここにもイノシシの被害がある。

高齢者が多い

区所有の溜池
ご多分に漏れず我が集落も参加者が高齢化している。今回も80歳以上の方が2名、草刈機を担いで参加していただいた。この80歳代のお2人は我々以上に元気である。
60歳代の若者(?)の会話は「我々は80歳までこんな作業に参加することはとても無理だろう」と決まって出る会話である。この作業が終わると“ご苦労さん会”が開催される。この日のビールは格別にうまい。
疲れと酔いも重なり家に帰り寝ていたが80歳代の方は慰労会終了後も家に帰り農作業をしておられた聞き愕然とした。今の80歳代は60歳代より元気だ!!
掃除といっても、それ程生易しいものではない。隣町にある溜池まで総延長7kmもある水路の掃除は大変な作業である。その水路の一部に、傾斜角度が45度以上の水路もある。また山の中を通る水路には10か月分の落ち葉や土砂が堆積している。
またイノシシが水路横の土や石を水路内に落としている。専門家の弁によれば水路の周りの肥沃な土の中に居るミミズをイノシシが食べるために土や石を掘り起こすのだという。ここにもイノシシの被害がある。

高齢者が多い

区所有の溜池
ご多分に漏れず我が集落も参加者が高齢化している。今回も80歳以上の方が2名、草刈機を担いで参加していただいた。この80歳代のお2人は我々以上に元気である。
60歳代の若者(?)の会話は「我々は80歳までこんな作業に参加することはとても無理だろう」と決まって出る会話である。この作業が終わると“ご苦労さん会”が開催される。この日のビールは格別にうまい。
疲れと酔いも重なり家に帰り寝ていたが80歳代の方は慰労会終了後も家に帰り農作業をしておられた聞き愕然とした。今の80歳代は60歳代より元気だ!!