サイクロン被災の子供たちを救えⅡ

2008年5月ミャンマー南部を襲ったサイクロン(ナルギス)により肉親を失った被災児50名を救うために今回里親制度をつくりたいと検討を重ねていたが、今回その内容が決まった。


   被害を受けた僧院(仏像だけが残っている)

       なぎ倒された木々

① 1人の子供に対して1ヶ月5,000円の支援金で、生活面、教育面、健康面、精神面でのサポートをする
② 支援していただいている子供の様子を年2回のペースで報告(写真添付)させていただく
③ 年1回支援地訪問ツアーに参加可能(参加費は実費)
④ 1年ごとに支援の継続更新を行なうので支援年数は自由に選ぶことが出来る
⑤ 支援者は、個人やグループ、法人での支援が可能


      被災を受けた孤児たち

   ジャパンハートが孤児たちをバスツアーに招待

支援いただいたお金は、サイクロンで親を亡くした子供たちのために使わせて頂きます
※皆様方の心温まるご支援を心かお待ち申し上げます

詳しくは「国際協力の会MIS」電話 0955-28-5111
ジャパンハート東京事務所」電話 03-3734-6206


サイクロン被災の子供たちを救え 

今年初めのブログにも書いたが一昨年ミャンマーを襲ったサイクロン被害の子供たちを救う「里親制度」が動き始めた。今月3日に博多のあるホテルで寺院関係の研修会が開催されていた。その会合にジャパンハート代表の吉岡医師に来ていただき、ミャンマーの現状や今進めている“サイクロン被災児の支援”活動などについてお話しをしていただいた。


                  講演中の吉岡医師

医師がミャンマーと拘わり始めたきっかけは第二次世界大戦で肉親を亡くされた寺院関係の遺族の方の依頼があったからだということ、最初に着任した15年前には戦争体験のミャンマーの人たちがたくさん生きておられ、それらの人たちから悲惨な戦争体験を幾度となく聞かされたからだと訪緬当時のことを語られた。対戦中に日本人を助けてくれたミャンマーの人々に恩返しをするのは自分しかいないとの思いで続けておられる。


                里親制度についての話し

一昨年のサイクロンで15万人近くの人が亡くなった。肉親をなくした子供たち50人の世話を、医療活動と同時にしておられる。医療活動だけでも大変な仕事なのに50人の子供たちの世話までしておられる。我々MIS(ミズ)の会でもこの里親制度に対し支援をしようと今動き始めたところである。(里親制度についての詳しい情報は次回のブログで紹介)

キャンピングカーの旅(その2-1)

前回のテスト走行に自信を得て今回は長距離走行に挑戦した。13日(木)3時に自宅を出発し、夕方6時40分新門司発神戸行きの阪九フェリーに乗り込んだ。今回の行き先は、関東に住む孫たちをキャンプに誘うのが主な目的だった。出来るだけ出費を抑えるために高速道路は土日を使うように計画した。フェリーは定刻に出港した。


   阪九フェリー新門司乗船場           夕刻 7:40 定刻に出港

瀬戸内海は波も穏やかでほとんど揺れもなく穏やかな船出となった。翌朝7時に神戸の「六甲アイランド」に着いた。東大阪に住んでいる旧友に会うために阪神高速に乗り御厨まで行く。その後、名阪国道を通り伊勢湾岸道路から東名高速に乗るルートを選んだ。


    刈谷PAのデラックストイレ         便器の先は立派な中庭が見える

伊勢湾岸道路では総工費1億円で造ったトイレがあると聞いた刈谷PA(ハイウェイオアシス)に寄った。刈谷PAで昼食を済ませ途中浜名湖PAや日本坂PAなどで休息をとりながら時間をかけてゆっくり進むことに心がけた。夕方鮎沢PAに到着ここは唯一シャワーが設置されたPAである。シャワーを浴び休息後次のSAである海老名SAまで行き此処で泊まることにした。


     浜名湖に架かる東名高速道               浜名湖PA

東京近郊のPA・SAでは時間調整の車で満車状態である。大型トラックは夜の11時を過ぎると深夜割引で通行料が安くなり、乗用車は土曜日に出ると1,000円で通過できるからだ。我々も土、日1,000円の特典を利用するため土曜日に東名高速の東京ICを通過し首都高速に乗る。通常であれば1万円近く掛かる高速料金が1,550円で済んだ。土、日割引が実施されてから一気に500kmも走ったのは初めてだったので料金所の電光掲示板に1,550円と表示された時には感動した。

PA : パーキングエリア
SA : サービスエリア
IC : インターチェンジ

Posted by 古賀 等. at 2010年05月27日20:15 | Comment(0) | trackback(0) | 日記

キャンピングカーの旅(1)

17年前に娘がアメリカに語学留学をしていた当時、初めての“アメリカ西海岸旅行”に参加した。愛娘が外地でどんな生活をしているのか心配と同時にアメリカに対する興味もあった。ロスからサンフランシスコ・ヨセミテ国立公園までバスの旅をしたときに出会ったキャンピングカーの多さに驚いたと同時に大いに興味を持った。


       製作前のワンボックスカー        筆者とキャンピングカー

一軒の家に自走式とトレラー式の2台のキャンピングカーを所有する家庭を何軒も目撃した。アメリカは広大な土地だから旅をするにはキャンピングカーは重宝な乗り物だ。その内日本でも流行るだろうと思った。 


  道の駅「阿蘇」には30台のキャンピングカーが勢揃い    道の駅は各所に点在する

帰国後アメリカ・インディアナ州のキャンピングカーのメーカーからキャンピングカーを輸入し自社でも製作しようと計画した。しかし当時は自社の主力商品である活魚輸送車の製作に追われキャンピングカーまでは手が回らなかった。


       途中立寄った南小国          押戸ノ石石群

しかしその内にキャンピングカーで旅をしたいと言う夢があった。今回、リタイヤを前にキャンピングカーを購入した。キャンプのみに使用するのではなく何時でも使えるようにワンボックスカーを改良したものを選んだ。最初のテスト走行は行き慣れた「阿蘇」を選んだ。

Posted by 古賀 等. at 2010年05月11日23:55 | Comment(0) | trackback(0) | 日記

経営計画の進捗管理検討会

昨年10月からスタートした今期も3月末を以って半期が過ぎた。経営計画書に掲げた目標の進捗状況を確認する検討会を先月末に開催した。今年はどの業界も大変厳しい状況が続いている。

弊社もご多分に漏れず厳しい状況だ。半期の実績は営業が必死で受注獲得に向けて東奔西走の頑張りをしてくれているので売り上げ目標はなんとか達成できている。


                  経営計画の進捗状況検討会

目標の数字はなんとか達成できても掲げた施策の各項目が実行されているかといえばまだ十分とはいえない。新規顧客の開拓、新商品開発などは次の飛躍、発展のためにはどうしても実行しなければならない重要な課題である。

数字だけが達成できても掲げた施策が達成できていなければ片手落ちである。我社は途中の“チェック“が不十分である。半期の間に実行できなかった項目を残りの半期でなんとしても実行しなければならないと決意を新たにしたところである。今後は各会議で進捗管理を確実にすることで一致した。

Posted by 古賀 等. at 2010年05月06日20:10 | Comment(0) | trackback(0) | 経営

ミニ同窓会(島原にて)

我々、昭和32年卒業の“山代中学校同窓会”は毎回オリンピックの年の8月16日に開催されていた。4年に1度の同窓会に忘れず参加してもらいたいとの思いで“オリンピックの年”に開催すると決めたのは当時の事務局長の発案である。開催日を8月16日に決めたのはお盆で帰省する人など出来るだけ多くの人に参加してほしいとの考えである。


   大火砕流で廃校になった小学校        火砕流の流れを示す看板

4年ごとに開催される同窓会は毎回盛会で、多いときは恩師も含め100名近くの同窓生が一堂に会したこともあった。この同窓会を育ててきた先代事務局長は50歳という若さで他界したが彼は400名余りの同級生の名前を良く覚えていた。そんな事務局長から受け継いだ同窓会だから継続しなければならないという想いがある。戦後の貧しい時代に育った同級生は皆気持ちが通じ合う仲間である。卒業当時は400名近く居た同級生も炭鉱が閉山になり全国に散らばり住所が判明する者は半数の200名程度である。


    ゴルフ組と観光組に分かれ・・・       島原名物流しソーメンに舌鼓・・・

4年の間には一人減り二人減りする年代になったので4年に1度の同窓会も65歳を境に2年に1度に変更された。同窓会を継続するために地元在住の世話人が集まり時々“ミニ同窓会”を開催している。今回の“ミニ同窓会”は島原在住の同級生のお世話で、島原市内で開催した。旧交を温め合う1泊2日、楽しいひと時を過ごすことが出来た。来年は“古希同窓会”を伊万里で開催することを誓い別れた。

Posted by 古賀 等. at 2010年04月22日20:15 | Comment(0) | trackback(0) | 日記

区役員(区長)から開放

2期4年間勤めた区長の役から解放された。一つの役から解放された開放感は達成感と共に少しばかりの満足感が感じられた。区長という役はあて職が多くて多忙であるが故になかなか“成り手”が無い。また役を引き受けた者は後継者が決めるまでは安心できないのが現状である。もし後継者が決まらなければあと一期努める覚悟が必要である。


      区長会で西九州道路建設現場視察(3/16)板治川橋脚と北波多トンネル

幸いわが集落では優秀な人材が育っている。今日は交代区長会が開催され市から感謝状を頂いた。町内17区の内退任するのは4人である。4年間いっしょに活動した仲間と会えなくなると思えば少し寂しい気持ちがする。今後は地元の新任区長の支援をすることも退任した者の役目だ。出来れば逃れたい役を引き受けてくれた新任区長に感謝、感謝。

Posted by 古賀 等. at 2010年04月13日20:15 | Comment(2) | trackback(0) | 日記

花の無い花見

桜の花は散り、ツツジはまだ咲かない、花がまったく無い時期に「社内花見」を実施した。今日の日を選んだのは「仕事が一段落し心置きなく楽しもう」と全員で決めた最良の日だった。メニューは定番のバーベキューで準備から片づけまでやってくれるJAの“焼肉マン”におまかせ。昨日までの天気とは打って変わって今にも雨が落ちてきそうな空模様であった。案の定、宴が始まる頃には小雨が降り出した。このまま屋外で続けるべきか会場を屋内に移すべきか迷ったが思い切って工場内に移しての花見が始まった。


      ワンちゃんも孫も参加               家族全員参加

今回の花見は日頃お世話になっている家族の皆さんや協力会社の皆さんにも来ていただこうという企画で開催した。特に家族の皆さんには会社を見ていただこうとの思いがあった。今年は高卒の生徒が2名来てくれた。新規採用の社員のご家族には是非会社を見てもらおうとご両親に来ていただいた。子供が初めて働く職場はご両親もさぞ心配だろうとの思いから「是非来てください」とお願いした。会社の雰囲気を見てもらい「安心した」とのお言葉を頂きこちらが安心した。3時から始まった宴は延々5時間にも及び花の無い花見は終わった。

Posted by 古賀 等. at 2010年04月12日20:15 | Comment(0) | trackback(0) | 日記

ウィ・サーブ

ウィ・サーブ(We Serve)とはライオンズクラブのモットーで「我々は奉仕する」という意味である。ライオンズクラブ国際協会の目的の中に“奉仕の心を持つ人々が報酬なしに社会に奉仕するようはげまし、また、商工業、専門職業、公共事業及び個人事業の効率化をはかり、道徳的水準をさらに高める”とある。


スタート前にアイバンクについての説明     ボーリング大会

社会奉仕をすると共に自らの事業の確立を図り自らの人格を高めると理解している。ライオンズクラブでのさまざまの活動を通して人間性を高めなければならないのである。


      グランドゴルフ大会        グランドゴルフ表彰式

我が伊万里ライオンズクラブでは「3大チャリティー」と銘打ってボーリング大会(2月21日)・グランドゴルフ大会(3月3日)・ゴルフ大会(3月4日)を開催した。クラブ員と市民の協力で多くの資金獲得が出来た。

獲得した資金は全額佐賀県アイバンク協会とあしなが育英会佐賀に寄付することが出来た。ご協力いただいた皆様に感謝、感謝である。

認知症についての講演会

義母が認知症と診断されてから5年が経過した。相対で話しをしているときには病気だとは気づかない程度だが直前の出来事でもすぐに忘れてしまう。この認知症についての講演会が先日開催された。「認知症と明るく生きる」というテーマだった。講演会の目的は“認知症になっても安心して暮らせる地域を作ろう”との趣旨で開催されたものである。


           たっしゃか体操              会長の挨拶

この講演会は認知症を抱える家族の会“ひまわり会”の主催で開催されたものである。会場の伊万里市民センター文化ホールは600余りの席を有する会場だがほぼ満席になるほどの関心の高さである。講演会はアトラクション“たっしゃか体操”で始まり、舞台と観客がいっしょになって体操をした。この“たっしゃか体操”はお年よりでも誰でも出来る体操である。(たっしゃか=元気な)


        対談形式で講演            マイウェイを熱唱

今日の講演会の講師は若年性アルツハイマーに罹られた太田さんと言う方と、太田さんの主治医の菅崎先生との対談形式の講演だった。自らの病と闘っておられる姿は涙無しでは聴けない体験談だった。病の進行を少しでも遅らせようとリハビリの指導をされる菅井医師とのコラボレーションは絶妙であった。講演の最後に数時間の特訓で今なお歌詞と曲を覚えておられるということで熱唱された「マイウェイ」の歌には観客全員が涙した。

Posted by 古賀 等. at 2010年03月12日20:15 | Comment(1) | trackback(0) | 日記